気ままに書くブログ

掃き溜めゴミ処理場みたいなところです。

生と死の境界線はどこなのか

タイトルで書いたことって一度は考えた事がある人いると思うんです。私もよく頭をグルグルさせながら考えます。

昔、通学中にふと思ったんですが、仮に心は元気だけど体は腐敗していってる人と心は死んでるけど体は動かせる人が居るとしたら、かなり失礼極まりないのですが、どちらの方がより生と死の境目に位置してるのかなって。

なぜそう思ったかというと、私自身がまぁ、色々あって数年間ずっと心が死んでる実感が未だあるんですよね。死んでる実感ってのも変ですけど、体はわりかし健康なので余計にそう思うんですよ。まぁ、最近は何か失敗しても「何回かもう死んでるようなもんだからいっか!」っていう謎ポジティブになれてきてます。

そして、亡くなっても心が通じ合って今もその人がどこかにいるっていう感覚あったりするじゃないですか、だから人の本質というか生きている証って見た目なりなんなりとかよりも、心のような具体的には見えないものの力の方が大きいのかなって。目に見えないからこそ大きく感じるのかもしれませんが。

そうなると、生きてるって何なんでしょうね。まぁ、こんなギスギスしてる世の中だからこそ、柔らかい気持ちを持っていたいです。

 

生きてれば嬉しいことも辛いこともありますけど、その生と死の境界線を行ったり来たりすることに何か意味があるんですかね?

いやまぁ、もしかしたら何も意味無いかもですけど。人ってどんな事にでも意味を持たせようとする性質があるって個人的に思ってるんで、生まれて死ぬまでの間に対して勝手に期待してこう色々思ってるけど、それは無意識な願いであって結局は何もないのかもって最近は思い始めました。

人って死ぬ恐怖よりも理解できない事に対する恐怖の方が多分大きいと思うんですよね。だから簡単に昔から命を捧げちゃえたりするんですかね、生け贄とか愛情を示すためとかその他もろもろ。そして、理解できない事に対して攻撃的になるんですかね。

私は理解できない恐怖といえば、虫が怖いです。理由は何考えてるのか分からないからです。なんでこっちに飛んでくるの!っていう方向で向かってきますよね。なんなんですかね、あれ。

虫は怖いです。幽霊とかそういうホラー系もダメです。けど妖怪とか不思議な話とかはなんか好きなんですよね。

そろそろ寝ようかな、おやすみなさい。

帰り道

学校から帰ってきました。今行ってる学校は好きな事をやれてるってのもあって、小・中・高校よりも1番楽しいです。それに、仲良くしてくれる友達やクラスの子が皆んな優しいので、心の底からありがとうって気持ちになります。

 

ぼーっと電車に乗って外の景色を眺めていたら、行きよりもだいぶ雲が分厚くなってるなぁって思いました。それに暗くなるのが早いですね。

私、夕方の青く暗くなっていくあの感じ結構好きなんですよね。寒い季節に近づくとよく見かけます。ブルーアワーっていうんでしたっけ?間違ってたらごめんなさい。青といえば、夜明け前の少しの間だけ青く照らされるあの時間も好きです。本当に時々しか見た事ないですが、影が濃いめに見えるから朝日の強い光がとても柔らかく感じて優しい温かさがあって好きです。こっちはブルーモーメントって確か言うんでしたっけ?

そういえば、天気といえば晴れ男・女とか雨男・女とかあるじゃないですか、あれ凄いですよね。不思議です。私は晴れ女でも雨女でも無いのですが、自分の周りだけ強風が吹くって事はよくあります(笑)これ結構困るんですよね、木々の葉っぱは揺れてないのに自分だけ髪の毛ボサボサなるの恥ずかしいし、せっかくセットしても台無しなのは辛いです…

この事を今日友達に言ったら「そんなのなったことないよ(笑)無意識に頭が揺れてんじゃない?」って言われました。もしそうなら私は赤子かヘドバン野郎です。んなわけないです(笑)自分でも原因は謎なので、いつか解明したいですね。

そして、帰り道にその子と一緒に小腹が空いたのでローソンで買い物をして帰りました。私はからあげクン綾鷹の抹茶ラテを買って、友達はスナック菓子を買ってました。家に帰ったら動画を見ながら食べるらしいです。

からあげクンめっちゃ久々に食べましたが、やっぱ美味しいですね。何故か自宅の周りにローソンが無いので欲しいです。セブンとファミマだらけなんですよね。

コンビニといえば、もう肉まんが売ってました。そんな季節なんですね、早いものです。

ただ肉まんを見ただけでは季節を感じないのに、あのケースに入ってレジ横に売ってる肉まんは物凄い季節を感じますよね。もはや季語になっても良いんじゃないかと個人的に思います。でも、あのケースに入ってレジ横にある肉まんの名称ってありませんよね。なんだろう、まぁ普通に考えたらコンビニの肉まんなんですが、それだと率直すぎるし、何より特別感がないですよね。なんか、コンビニっていつでもどこでもあるから季節を感じる言葉として使うのは違う気がするんですよ。

うーん…思いつかないですね。思いついたら書こうと思います。

今日のこと

このブログを開設してから初めてじゃないですかね、普通に日記を書いてみようかなと思ったの。そもそも開設してから書いた内容が全部愚痴なのってなかなか嫌な奴ですね自分(笑)

 

ちなみに、今は学校に向かってる最中です。あと半年もすれば卒業してしまうので、最近は景色を見ながら登下校しています。ただ、地下鉄に入ると景色はあまり変わらないので暇です。せいぜいライトの位置や電車がガタンとなるタイミングを覚えてくるくらいです。来年の今頃は社会人として働いていると思うので、こうして平日の空いてる電車に乗ることは無いんだなぁと思うと寂しいものです。

 

時間を少し戻して、最寄駅へ向かってる途中で見かけた出来事なのですが、高校生のカップルが「人」の字になって仲良さげに抱き合ってたんですよね。といいますと、彼氏さんの方に身長低めの彼女さんが寄りかかって向き合いながら抱き合ってたんですよ。

別にそれでリア充がぁっ!ってなるタイプの人間ではないので「あー微笑ましいなぁ、仲が良いのはいいことだ。」って思ってたんですが、シルエットがあまりにも綺麗な「人」の字だったんで、感動してしまい今ここに書いてます。

そーいえば、ちょっと前は人と人が支え合って〜という有名な言葉がありましたが、最近は人の字は1人の人を横から見た絵って言われてるらしいですね。まぁでも、そっちの方が個人的にスッキリしますね。片方の支える負担デカすぎますし、そもそも人って漢字だけじゃ複数形の言葉じゃないですし、人が手を広げてる様子の「大」って字にも繋がらないですよね。あくまでも個人的な思いつきの意見ですが。

それでまぁ、その"人カップル”を見た後歩いていたら、歩道にあるガードレールのポールの上に一切開けてないし飲んでもいないトマトジュースが置いてあったんですよ。何で買ったんでしょうか。単純に忘れてしまったんでしょうかね?今はそのトマトジュースがそこに置かれるまでの物語を考えています。

個人的に、ポールの上に何かものが置いてあるのを見かけると何故か良い気分になるんですよね。ポールの上の忘れ物が語ってくる物語性って凄いんですよ。

例えば、よく見かけるのは小さい子の帽子ですね。帽子のサイズもまちまちだから考えられる話が沢山あって面白い。冬になるとダントツで多いのは手袋の片方だけですね。なんであれ片方だけなんでしょうね。しかも、これに関しては大人サイズも結構あるしデザインもまちまちで想像というか妄想が膨らみます。都会の雨に濡れながら真っ暗な歩道のポールの上に置かれている大人サイズの片方だけの手袋を見ると哀愁と陰を感じて面白いですね。

陰を感じる要素があるものっていいですよね。別に厨二的なあれではなくてですね、作品の立体感が増すといいますか、やっぱ陰を捉えることで形を捉えられたりしますからね。それに、夕方の雲なんかを見るとよく思うんですが、雲に当たる光よりも雲の陰の方が夕方の光の色よりも圧倒的に色んな色が見えるんですよね。暗いはずなのに面白いです。

こんな事を考えていたら降りる駅を過ぎてしまいました。乗り換えようと思ったら自分が待ってた所には車両が来なくて久々に走りました。馬鹿ですね自分(笑)

とりあえずはここまで。

同担拒否が怖い

タイトルの通りです、急にごめんなさい。

「いや、お前に怖がられても勝手にやってるから」って言われちゃいそうですが、少しばかり話をさせてください。

何故受け入れられないかというと、小・中・高校時代自分のことを虐めてきた人たちがいわゆるそういうタイプだったんです。トラウマで怖いんですよ…

いじめの内容を軽く話すと、よくあったのはA君の好きな相手が私らしいと噂が立ってそのA君の事を好きな女の子に陰口言われるってやつですね。まぁ、大して仲良くない人からのは無視すれば終わりなんで良かったんですが、一回だけ元々仲良くしてた友達にもそれをされてしまったんですね、1年間ほど。

その元々仲良かった奴はご丁寧にわざわざ目を見て笑いながら無視するし、休み時間がとにかく苦痛でしたね。しかも何度も聞こえそうで聞こえないのに目に入る距離でなんか言ってるんですよね。

一回この内容をリアルで軽く話したら嫉妬された自慢…⁇的な空気が一瞬流れたので人にはもう話さないでおこうと決めたのですが、私からしたらストレスとショックで過去の記憶が真っ白に無いし、未だに寝てても起きてても頭の中駆け巡るし、他人を信用出来なくなってしまった冷たい自分に嫌気が差してくるし、割り算と小数点と税金の計算に対して何故か拒否反応があり、つい最近までできなかったしで(おそらく割り算と小数点と税金の計算の仕方を授業で習った日に何かあったんだと思います)何が自慢になるのかが全く分からないです。

自慢のつもりは一切無いし、いい加減自分の気持ちを噛み砕きたくなったのでネットでくらい言わせてください。

そして、同担拒否の話に戻りますが、そのいじめが原因で支配愛みたいなのが怖いんですよね。あと、いじめの他にも何故か定期的に男女関係なく独占欲が強い人に気に入られる事があるのも理由の一つです。愛情があれば他を傷つけていいみたいのが怖いんです。別に同担拒否を名乗ってる人は過去に私を虐めた人では無いと思うんですが、怖いんですよ。ごめんなさい。

昔はアイドルというコンテンツに対してだけそういうイメージがあったんですが、最近色んな界隈で同担拒否という活動を見かけるようになってきて心が休まらないのでここでくらい吐き出させてください…

SNS辞めろよって言われるかもだけど、テレビつけても見かけるし曲漁っててもそういうテーマの曲増えてきてるし、そもそも好きなアーティストの情報欲しいからSNSをやってるのであってなんでこっちがすっこまなきゃいけないんですかって思うんですよね。

いなくなれ、とかそんな過激な事は言わないのでもう少しだけ攻撃力を抑えて欲しいです…

古参ぶっとこうって何ですか

最近YouTubeなんかでよく見かけるもやっとする出来事。

MVとか見ていて、あー好みだな良いなぁどんなコメントあるかな。と思い覗いてみると、結構な頻度で「古参ぶるためにコメ残す」って書いてあるあれです。

そのコメントを見かけるたびにまぁ、なんとも言えない気持ちになります。

なんか、サッカーの代表選手に選ばれた訳じゃないのに画面に向かってとやかく言ってる人達と同じ匂いがします。別に貴方の手柄ではないよね?って思っちゃいます。

 

「じゃあ、コメント見るな」と言われてしまいそうですが、1番上とかにそういうコメントがあると嫌でも見えるんですよね。スマホとかならまだ良いですよ、1番上のコメントしか見えないのでしばらく上向きながら横画面にすれば良いのですから。パソコンだとまぁ、数件か見えてしまう。本当に嫌だ。

あと、同じくらい嫌いなコメントとしては「もう数年経ったけど未だに聴いてる人もしくは見てる人いる〜⁇」です。

個人的に、作品というものは思い出なり色んな人の時間を閉じ込める力もあると思うので、そのコメントがあるとシラけます。

 

まぁ、そう思ってる奴もいるんですよ。程度のものと思ってください。ただの個人的な愚痴でした。

自分の証明をしないといけないのが辛い

ここ数年のどれだけ『自分が』アニメ・漫画・映画・曲などの作品を愛しているかの語り合いに嫌気が差してきました。

『自分が』っていうのが一番嫌なポイントなんです。いかに『作品が』凄いのかここはどういう意図があるのか、色んな解釈を聞いて自分の頭の中の視野を広め語り合うのが楽しいと思っている人間なので、『絶対的に自分が考えている好きの形が一番であり、その証明を周りに押し付けた方が勝ち』という楽しみ方をされてる人に対して疲れてきちゃったんです。

「そんな他人の気持ちを聞いてるだけで疲れるのであれば、元々その人よりも情熱や愛情がないんだよ。」と言われてしまいそうですが、別に他の方の意見を聞く事自体は好きなんですよ。

むしろ、一つの作品という同じテーマで様々な考えが手に入れられるなんて楽しいと思います。一回きりの人生、私1人分の脳みそと時間しかない人生なのに、沢山の人と関わる事で様々な人生の価値観が部分的にでも手に入れられるなんて凄い事だと思うんです。

それに、作品というものは半永久的に残るものですから、例えば私は小学生の頃に好きになり、今でも追いかけてるアーティストさんがいるのですが、初めてそのアーティストさんを好きになってから十数年経った今、現在の小学生は私が小学生だった頃ものすごく幼かったか、生まれていないかのどちらかです。けど、そのアーティストさんの曲はネット上にも残り続けていますから、きっと過去の私と同じように感動してる小学生の子が今いると思うんですよ。私からしたら未来の子でその子たちからしたら私は過去の人です。同じ作品を通して、そうやって過去と未来の人間が繋がるというポイントもこれまた楽しいと思うのですが、いかに『自分が』1番かを証明する為に古参という名で、マウントを取ろうとしたりする人も居たりするじゃないですか。確かに、昔から応援してるのは凄い事ですし、その人たちがいたからってのは絶対的にあると思います。けど、未来の子達はまだ知る機会すら与えられてない可能性だってある訳ですし、年齢関係なく同い年の人だろうと年上だろうと、それぞれの環境だって違います。自分の証明をしたいという理由で他の人の好きだという気持ちの量を奪うだなんて寂しい気がするんですよね。

(個人的にマウント取りたがる古参と礼儀知らずの新参が多いコンテンツは廃れるか荒れてるかのイメージが強いです。偏見ですが。)

 

「じゃあ、そういう人たちを避ければ良いじゃん」っていう事も言われちゃいそうですが、それが今の世の中難しくなってきているんですよね。

私も自分と合わない人は絶対に居ると思うので、嫌なら見なきゃ良い関わらなきゃ良いっていう考えは賛成します。なので、SNSは好きな人だけをフォローして誰かと会話をする事はありません。せいぜい好きなアーティストさんにツイッターでリプを送ったり感想を1人で呟くくらいです。

他者との繋がりがない奴からリプが送られてくるのって怖がられてないかなと不安になったりもするんですが、過去にこっそり応援してた人が1人のアンチのせいで引退して作品も全消ししたことがあり、とても後悔しているので応援している気持ちは伝えたいと思って送ってます。

 

けど、そうなると嫌でも関連で見えてしまうし、あちらサイドもこっちが見えてるので来るんですよね。ただ、仲良くして下さったり作品について語り合えたりする方もいるので一概に嫌とは言わないんですが、時々敵を見つけたごとくのように押し付けてくる人はいるんですよね。それが物凄く嫌でやめて欲しいんです。

おしくらまんじゅうをずっとされてる気分なんです。キャッチボールがしたいんです。

もう、ただの愚痴ですね。最初から愚痴のつもりで書いてはいますが。

 

そして、公式がやたらファンに対して数字を煽いでいるのを見てるともやっとしますね、正直。

まぁ、商売である以上綺麗事を求めるのは酷だと思うし、むしろお金を稼ぐことは生きる上で必須だと思うので良いんですが、なんでしょうね。なんか、なんか寂しいんですよね。一つのテーマで繋がる感覚が薄れてる気がして。好きという気持ちに対して位をつけられてるように感じて。

でもきっと、私がそっちサイドの楽しみ方を知らないって事もあるんだと思います。

具体的に自分の好きという想いの形が証明される事によって、応援している気持ちが見えるのが良い人も居るんでしょうし、居なくなれとかそんな過激なことは言いません。

ただこういう証明したくない奴もいるので、隅っこでいいので、もがく隙間くらいは残しておいてほしいです。どうか、怪しい奴扱いしないで欲しいです。

 

私は作品を通して自分を証明したいんじゃなくて、映画のスクリーンを見て影になっている観客のようになっていたいんです。あくまでも主役は作品とそれを創り上げている方々だと思うんです。作品に溶け込んでいたい奴もいるんです。そういう奴もいるんです。